マーダーミステリー(以下、マダミス)を遊んでいて「このジャンルは誰でも楽しめるものではないのでは?」と感じたので、考えたことをまとめてみました。
特定のマダミスのネタバレはありません。
また、筆者さきはるはオンラインのマダミスしか遊んだことがありません。
筆が途中で折れたので、考えのまとまりも文章づくりも半ばですが投稿しておきます。(なんと書き始めたのは4月の記事)
「文章を読める」と自信を持って言えるか
当たり前ですがマダミスは字が読めないと遊べません。識字率ほぼ100%の日本ではまずそこで躓くことはないでしょう。
しかし文を読めるからといって理解できるとは限りません。理解ひとつとっても背景知識の寡多で深度が異なるでしょう。手軽なゲームに思えますが、高い認知能力を必要とします。
今回は文章・読解に焦点を当てて、マダミスの選民性について考えていこうと思います。
情報・思考の統合
マダミスには様々な情報が出てきます。
複数のキャラクターが登場し、単純に殺人現場のみを操作するだけではなくキャラクターの謎を解かなければならない場合が多いです。
推理・解決しなければならない情報を二つに分けると、基本的に「殺人事件」「キャラクター」の2本柱になると考えました。簡単に以下に2つの情報例をまとめてみました。
これ以外の情報が思い浮かんだ人は、ぜひこの枠の中に頭の中で追記してください。
上記の情報はそれ単体で見た場合には無意味なものばかりです。その無意味な情報が無秩序に集まってきます。それもタイミング問わず。
そこに文脈・仮定という線路を仮敷きして情報を整理していかなければなりません。テキストはコンテキストに依存するのです。
この過程には単純に文章の理解力だけでなく、批判的思考と分析的思考を必要とします。限られた時間・心理的切迫の下では認知力は当然低下するので、ベースにかなり高い思考力を要求されます。
全部はむりでも誰にでも「ある程度は」できる!と、この記事を読んでいる人のほとんどは思うでしょう。
残念ながら私はテキストベースではありませんが、画像ベースでは全くできなかったのです。
ひとつの画像を見て「扉は右にあって、窓が正面に見える」という二次元的な情報を読むことはできます。しかし画像が複数登場し、すべての情報を統合しなければならないときました。その時の私は三次元的に空間や位置関係を把握・処理することができず、情報のほとんどを理解・統合することができませんでした。そのため議論の参加が非常に困難でした。
つまり文章に関しても同じような人がいるでしょう。自分のハンドアウトは理解できる。でも他の人たちのハンドアウトの情報を含めて統合して考えるのは出来ない、という人がいてもおかしくありません。
文章の多義性
マダミスの情報は基本的にテキストベースです。そのためテキストの解釈の幅が人によって違うと本筋とはまた別の議論が発生しやすいです。
一度わたしがGMの時に経験したのは、PLからの質問で「私が担当するPCが母親から髪飾りのバレッタを受け取っているが、これは他の子供のPCも受け取っているか?」というものでした。そのPCは作中唯一の女性PCなので「バレッタを髪飾りとして身につけるのは女性のみだ」という固定観念に基けば、受け取ったのはそのPCだけとなるでしょう。
しかしこのPLはその固定観念を疑問に思い議論前にGMに質問したのです。GMとしてはこの固定観念に基けば一人しか受け取っていないと考えられますと回答しましたが、PLは納得していない様子でした。私はこのジェンダーイデオロギーを受け入れたままであったため、このPLと解釈や納得の差が生まれたのでしょう。
文章を理解するには、過去の経験や知識に基づく推論が必要です。したがって、文章を読めるからといって、必ずしもその内容が全員一致した解釈になるとは限りません。マダミスの書き手も時代背景やPLの知識すべてに対応した文章を書くのは難しいでしょう。
マダミスはコミュニケーションゲームですから、PL同士で解釈の差を埋めるために話し合いをするのは正しいと思います。正しいと思うと同時に、それはマダミスの本来の議論だろうか?とも疑問に思います。"暗黙の了解" や解釈の差を埋める議論で邪推しないことなども必要になるのでPLには別の力も要求されていそうです。
マダミスは人をふるいにかける
このようにマダミスは前提知識・必要な能力のハードルが高く、 プレイヤーを自然と選別していると思います。
そのためマダミスを遊ぶことを強要せず、去っていく人にも慮るべきだと思います。加えて、上記の難しさを乗り越えるためには、作者・GM・PL全員が協力して、ミロのヴィーナスに腕を取りつけるような、解釈の導きと話し合いをする必要があると思います。