栗落した

マダミスの感想や雑記blog

【ネタバレ注意】アンノウンプレイ記

 

はてブロへの移行のために以下は自分のnoteの過去記事転載)


GMすーさん&じゃらさん、ショウタさんの4人でアンノウンプレイしてきました。今回も視聴勢も含めてみなさんありがとうございました!
配信アーカイブで殆ど自分の行動の意図やふかーい悔恨話しているのでプレイ記いらないかなーと思いましたが、ハンドアウト読んでる最中の汚いメモ捨てる前に画像として残すかーということでプレイ記とともに残すことにしました。

 

 

 

以下より、『アンノウン』のネタバレが多分に含まれています。

今後『アンノウン』のゲームを視聴・プレイする方の閲覧は非推奨です。

閲覧したことでゲーム体験が損なわれたとしても責任は負いかねます。

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【ネタバレ注意】狂気山脈-星降る天辺- プレイ記


『狂気山脈 星降る天辺』をプレイしている時のリアルタイムのプレイ日記をDiscordから丸々コピペしてきました。原文ママ
ゲーム直後ほやほやの状態でプレイも振り返ろうかなと思います。

 


以下より、『狂気山脈 星降る天辺』のネタバレが多分に含まれています。

今後『狂気山脈 星降る天辺』のゲームを視聴・プレイする方の閲覧は非推奨です。

閲覧したことでゲーム体験が損なわれたとしても責任は負いかねます。

 

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【ネタバレ注意】狂気山脈-陰謀の分水嶺-のプレイ記

はてブロへ移行するための過去の自分のnoteからの転載記事になります)

 

『狂気山脈 陰謀の分水嶺』をプレイしている時のリアルタイムのプレイ日記をDiscordから丸々コピペしてきました。原文ママ
次回の狂気山脈ゲームプレイでは配役が異なり、それに伴って今の役のチャンネルに残している日記を見られなくなってしまう可能性があるので。
2ヶ月ほど経って当時の熱も冷めてしまったのですが、プレイも振り返ろうかなと思います。

 



以下より、『狂気山脈 陰謀の分水嶺』のネタバレが多分に含まれています。

今後『狂気山脈 陰謀の分水嶺』のゲームを視聴・プレイする方の閲覧は非推奨です。

閲覧したことでゲーム体験が損なわれたとしても責任は負いかねます

 

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オタッキーな話し方をしたくない話

 

はてブロに移行するための過去の自分のnoteからの転載記事になります)

2022/10/10 iPhoneメモより。一部加筆修正した

自分の話し方がオタッキーになっていると最近気がついて悩み始めた。また、幼稚に聞こえる言葉を使うところも悩み始めた。
いまはオタッキーな話し方とはなにか、なぜ嫌かを考えようと思う。

他人がどう話そうとわたしは気にしないし、なにかを批難したい訳ではないということを前提に読んで欲しい。
しかし忌憚なく書いたため、既にオタクを擁護する気概のある人は見ないで欲しい。

 

オタッキーな話し方とは

私の思うオタッキーな話し方(表現)がなにかというところからまとめる。

  1. 極端な表現
    例を複数あげると「〇〇過ぎて泣いた」「実質無料」「全人類〇〇すべき」「控えめに言って〇〇」。対象の好悪の程度を形容の程度で表現する。これはどのジャンル(ここで「界隈」と表現するとオタッキーである)のオタクにも共通して散見する。
    オタクというより最近のSNS上のマーケティングの流行に影響されているところはありそうだ。コンテンツが即席的に大量消費される現代の生存戦略として誇大表現に逢着しているのかもしれない。

  2. 婉曲的な表現
    具体例は前述の「界隈」や「バ美肉(バーチャル美少女受肉)」。他の言葉で表現可能なこと(もしくは既成語がある)を敢えて難解な言葉や略語で表現しているという感じだ。例えば「V化(VTuber化)する」でもよいのにわざわざ「バ美肉」が用いられるのはオタクならではと感じる。
    造語や略語が生まれるのは同じ共同体のコミュニケーション時間の短縮や、オタクや会話自体の隠匿(所謂検索避け)が目的にあるはずだがこれらはそこから少し逸脱している気がする。
    オタッキー言語には同じオタク共同体に帰属していることの発信的な役割もあると思う。そうなるとオタク同士にしかわかり得ない共通言語にするため、より難解に奇天烈にとややこしい表現にする傾向もわかる。

嫌悪感の源泉


これらのなにに嫌悪感があるか。
知人と話していて納得したのが「上手いことを言おうとしている感」。実際に上手いかどうかはさておき。それも包含する嫌悪感の源泉はオタク言語を用いる共同体そのものの性質にあると思う。
オタク文化にある奇天烈な表現や言動に価値があるという観念。現実社会では秩序を乱すようなイカれていることに価値がある。物をコレクションし、金を消費し、定量的で異常な実績が評価される。だからオタクはゲームやCDや物の多さをアピールする。可視的な異常性が評価されるのだ。そのため言語においても奇天烈さが必要とされるのだろう。
そのためこの奇天烈さを評価・使用できないと共同体からは疎外される。「理解(わか)っていないのか」と。閉鎖的で規範意識が高い。
この妙な共同体に所属していることを発信するオタッキー言語が嫌なのだ。

また、オタッキー言語への嫌悪感はオタク=根暗で気持ち悪いというベースがあるため、オタクそのものの嫌悪感からきているという考え方もあるようだ。話し方と人格がリンクしているという価値観が根底にある気がする。「デュフw」から非社会的な人格が垣間見えるというような。私からするとアナクロニズムのように見える。
ただこの考えと同じくするのは、オタッキー言語そのものに嫌悪感があるのではなく、嫌悪感の源泉は別にあると考えているところだと思う。

まとめ

わたしは意識的にオタッキー言語を避けている。共通言語の役割は重々承知しているので、敢えて使うことももちろんある。郷に入っては郷に従えの実践。その時は「赤信号を渡っている」と自身で強く思う。

しかしこういった表現を見聞きし使用することが多いと、無意識のうちに内面化されてるのではないだろうか。その恐怖がふとした時に思い出される。
オタク共同体への帰属の拒絶があるのは、複数の共同体に所属しており孤独の心配がないからこそかもしれない。

もしくは奇天烈なことを言わない自分こそが奇天烈で素晴らしいと思っているのかもしれない。

初投稿


はてブロに移行するための過去の自分のnoteの転載記事になります)

note初投稿となります。
ブログを投稿するのも10年ぶりなので、どういった文体が自分にとっての自然体なのか手探りな状態です。
その足がかりとしてまず簡単に自己紹介と活動の方向性を書きたいと思います。

自己紹介

  • 名前: 栗落した(くりおした)。
    10年前にやっていたブログのタイトルが「無関心」だったので、今度はポジティブな意味を込めて。10年前は高校生。

  • 趣味:羊毛フェルト、ゲーム、ジョジョの奇妙な冒険etc
    ①人と時間・体験・感情等を共有出来るものか、②一生を通して自己表現の方法になり得るものを趣味にしたいとは思っています。でもYouTubeも見てしまいます。

活動の方向性

 

  • 過去の文章の推敲
    10年前のブログを自然にやめてからも、XやiPhoneのメモに自分の思考をなんとか文章化しようとした跡が沢山残っているのです。それをそのままにせず、今の自分の力で織り込んでひとつの物として完成させたいと思っています。
  • 文章の練習
    文章を読むことができても、同じレベルの文章を自分では作ることができません。アカデミックな経歴もなく、これからその道に進むことも困難ではあるのですが、自己実現のひとつとして文章力は磨いていたい気持ちとそれを実行することを大切にしたいです。
  • 体験の記述
    有難いことにTRPGに参加させてもらったり、大好きなジョジョ展に参加したりなど稀有な体験を多くさせてもらっています。旅先でシャッターを切ることで思い出が固定化されるように、文章にすることで思い出を強固にしたいと思っています。

このへんで今回は締めたいと思います。
桃栗三年柿八年。ブログをやめて10年。